有元農場 誕生秘話 (第1話より~)

2014-03-23 09:42:00

さて、前回くわでの畝立て・マルチ張り作業完了まででしたので、今日はそのつつ"きからです。

畝が15本できたのでまずは何を植えるか考えました。

とにかく本当に何もわからなかったので妻と相談して、一年目は「春夏秋冬」植えれるだけ全ての野菜を植える事にしました。一応比較的簡単な葉物中心にはなりましたけどね。

野菜は、「葉物」、「実物」、「根物」、に分かれます。

やはり自分に合う野菜が何なのか?

回転良く出荷できる野菜は何なのか?

そこら辺を探っていく必要がありました。

とにかく百姓は一年(365日)あっても、同じ作物を春と秋二回作付して、一年に二回しか勉強出来ません!!

その時間の、その瞬間を本当に大事に観察して、野菜に語りかけながら毎日作業しました。

品種も何もわからないので、近くのホームセンターで種の袋の裏をみながらあーでもない、こーでもないと考えながら種を購入しました。

一年を通して、ほうれん草、小松菜、チンゲン菜、からし菜、菜っ葉、野沢菜、じゃがいも、里芋、大根、人参、ナス、ピーマン、トマト、ゴーヤ、白菜、キャベツ、ブロッコリー、    等々

露地じゃ厳しい野菜も雨よけをして植えました。

病気、虫、台風、等全ての事を経験しました。

最低限の出費に抑えたかったので農薬、資材等も最低限にしてました。いま思えばほぼ有機でした。

野菜は穴ぼこだらけ、根元から腐る病気にもかかり、台風で野菜棚は倒れるし、本当にろくな野菜は作れませんでした。

ですがこれが本当に楽しいんです。相手は天候と、ものも言わない生き物(野菜)!!

そいつらとの駆け引きが本当に面白い。今まで味わった事のない感覚でした。

『百姓は自己責任なんで作りきらないとお金がはいらない。下手をうてば全て自分に返ってきます。』

相手が相手なだけに本当に究極に難しい駆け引きですよね。

一年で基礎基本のスキルを得る為に、「一年間を通してどれだけ沢山の種類の野菜に触れて、どれだけ沢山の失敗をし、経験できるか」を目標に作業していました。

来る日も、来る日も、「観察・失敗」、「観察・失敗」を重ねました。

そしてようやく量は少ないですが生まれて初めて野菜を作る事が出来ました。

有元農場最初のやさいは  『ちち"み ほうれん草』  です。

いやーあの感動は忘れません。。。。

そしてその野菜を食べた時の感動も。。。。

『その時ですかね、百姓という仕事は自分の天職だと実感したのは。』

 

人間の命を繋ぐ物を作り出せた事を実感し、その重みを感じながら仕事ができる。

本当に百姓は素晴らしい仕事ですね。                                               第三話     完

 

  

 

2014-03-15 19:37:00

地元に帰りまずは情報収集をすることにしました。

祖父母は百姓をしていたのですが、実家の父は百姓とは全く関係ない会社員だったので畑も機械も道具もなく本当に0(ゼロ)からのスタートでした。

まずは身内に理解をしてもらい力添えをお願いしました。

次に農政課、普及所等に行き霧島市の百姓の現状と支援事業について聞きに行きました。この時、農政課で対応して頂いた方々が、竹添サンと矢野サンです。今まで凄く親身にサポートして下さり心から感謝しております。

世間は厳しく、「若僧が思いつきで百姓をはじめて、できるものか!」と思われていました。

そこで、「頭で考えるより、口で語るよりまずは行動で示そう!」と思い畑を探しました。まずはとにかく何でもいいから野菜全般に触れる事からはじめようと思いました。

ですが貸して頂ける畑など全くみつかりませんでした。ただの他人で信用もなく何処の誰かもわからん若僧に大事な畑を貸して下さる方などいませんよね。

百姓にとって畑は、家族の次に大事なものです。

そして身内を頼りようやく、4アール(120坪)ほどの畑を貸して頂ける事になりました。

畑といっても草払いをして綺麗に管理しているだけの畑でしたので畑作ができるように、てをいれる必要がありました。普通は耕運機等を入れて耕運したいのですが、なんせその時持っていた道具はくわだけです!

なので120坪を妻と二人、「くわ」だけで土をおこして整地して、マルチも全て手で張りました。イヤー大変でした!

まあ最初から妻と一年目は百姓の原点の「くわ」で全ての作業をしようと決めていました。

「昔があるから今がある」、「先祖がいたから自分がいる」、「苦労があるから未来がある」。

それを体の芯から感じる為に原点(くわ)からしました。

ですが百姓の体もできてない自分たちにとっては一年目は本当に今まで生きてきた人生の中では一番きつい作業ばかりでした。

百姓という方達の凄さ、我慢強さ、作業の難しさを知ることができました。            第二話   完

 

(次回)    今回はくわで畝を立てて、マルチをはって準備までだったので次はいよいよ初種まきです。

 

 

 

 

 

2014-03-08 15:21:00

まずはじめに、自分は百姓をするまえは福岡に10年住んでおりました。

福岡での最後していた仕事は飲食店系のグループ会社にいて中間管理職についてました。現場を任されていたので部下も最大で100人ほどおりました。なので収入もそこそこありなに不自由なく過ごせておりました。

妻とも福岡で出会い結婚もし、娘も授かりました。

「そんな中、最愛の母を亡くす」という出来事をきっかけに自分の中で人生これで本当に良いのか?

という疑問が芽生えはじめました。それまでの人生を振り返させられるほどに最愛の母の死は自分に衝撃を与え、考えさせられました。

福岡での仕事は出張、接待、付き合い、等が多く家族との時間が全くもてなかったのでなおさらです。

それから地元に帰る事を妻と話し合い、承諾して頂きました。

そして次に地元に帰るにしろ仕事は何をしよう?自分には何が出来るんだろう?と来る日も考えました。

もう会社組織に入るのは嫌でした。なので何か立ち上げよう。でも何を?

そこで頭に浮かんだのがなぜか百姓でした。福岡の色々な就農の窓口等に聞きに行き調べました。

調べれば調べるほど「食」に通じる一次産業の百姓という仕事は大事な仕事だという事がわかりました。

なのに後継者は育たない、新規就農者も増えてない現実を知りました。汚い、臭い、儲からない等のイメージがやはり強いのでしょう。

農耕民族の日本人がいつの間にか原点を忘れかけてるのを感じました。

そうこう調べていくうちに自分の中に使命感が沸いてきました。

「自分になにが出来るかわからないけど何か百姓で革命を起こしてやりたい」と強く思うようになりました。

そしてその思いを妻にぶつけました。

「軌道にのるまでは今までの生活レベルとは天と地ほど変わることも覚悟してほしいと」

すると妻は

「やってみたらいい。やるからには腹をくくって一生百姓をせなよ」と言ってくれました。

その言葉が  「百姓道  有元農場」 のスタートの第一歩です。                              第一話   完    

   

今思えば簡単な決断ではないですよね。幼い子供を抱え不安しかなかったと思います。

自分の考えを尊重し、信じてついてきてくれた家族に本当に心から感謝しております。ありがとう。

 

 

    

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